デジタルライブラリートップページ三河後風土記正説大全
【伝記・系譜】 三河後風土記正説大全
- 第1-6:1103267081 (PDF 74.46MB)
- 第7-12:1103267072 (PDF 72.11MB)
- 第13-20:1103267063 (PDF 86.55MB)
- 第21-26:1103267054 (PDF 59.06MB)
- 第27-34:1103267090 (PDF 81.57MB)
- 第35-42:1103267107 (PDF 66.46MB)
- 第43-50:1103267116 (PDF 59.32MB)
- 書名 三河後風土記正説大全(みかわごふどきせいせつたいぜん)
- 巻数 50巻
- 出版書写年 嘉永6年(1853年)転写
- 数量 7冊 第1-6:113丁,第7-12:113丁,第13-20:134丁,第21-26:98丁,第27-34:123丁,第35-42:111丁,第43-50:101丁
- 書型(寸法) 大本(25.9×19.6cm)
- 注記 書名は「日本古典籍総合目録」の統一書名より。巻首題、尾題、外題(題簽)、目録題(巻第1のみなし)の表記は、「参河後風土記正説大全」。
- 内容 『三河後風土記』45巻本を、50巻に編集し直したもの。
『三河後風土記』が清和天皇から徳川歴代の祖について説き起こし、家康が実質的に天下を統一した慶長7年(1602年)もしくは翌8年までの700年余にわたる記述であるのに対し、『正説大全』の記述は、中山家所蔵本の翻刻を出版した中山和子氏の解説では、「家康より九代の祖有親の頃からを物語の主流とし、最終は、45巻本の巻29「家康公関八州拝領」の天正18年(1590年)まで」の、「三河の国を舞台に奮闘した徳川氏と、その家臣との物語」とされる。
本資料の末尾は天正18年(1590年)の「関東御入国」の項であるが、当館にもう一揃い所蔵する同名資料では、慶長3年(1598年)の秀吉の死去までが語られている。
中山氏は翻刻にあたり、早稲田大学、京都大学、東京大学所蔵本とを比較しており、早大本に記される序から、序文の筆者で江戸の兵法家、白龍子が享保の頃に改撰したものと推測している。また、中山家、京大、東大所蔵本は巻50が「御当家略御系図」に当てられているが、早大本のみこの項目をもたないことが言及されている。当該資料にも、「御当家略御系図」は記されていない。
なお、元となる『三河後風土記』は、平岩親吉が慶長15年に著したと序に記されているが、同書を『改正三河後風土記』として改撰した幕府の儒官 成島司直は、寛永・正保頃の偽作と推定している。 - 序・跋・奥書等 自記:「嘉永六癸丑九月十八日写畢 栗原計房」
- 文献 『三河後風土記正説大全』 (中山 和子/翻刻・校訂 新人物往来社 1992)資料ID: 1106339246
- 請求記号 Wラ/A210/ミ3/1A ~ 7A