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【俳諧】 枇杷園七部集

枇杷園七部集
  • 書名 枇杷園七部集(びわえんしちぶしゅう )
  • 巻数 5編
  • 著者名 士朗(しろう)/著
  • 成立 文政8年(1825年)序 以降
  • 出版書写年 天保8年(1837年)以降刊カ
  • 数量 5冊  初編:116.5丁(「凡」,ノド:「五七目一」・・・「五七目三」,「枇七部初ノ上一」・・・「枇七部初ノ上五十七」,「枇七部初ノ下一」・・・「枇七部初ノ下五十五」), 二編:110.5丁(ノド:「枇七部二ノ上一」・・・「枇七部二ノ上五十四」,「枇七部二ノ下一」・・・「枇七部二ノ下五十六」), 三編:112.5丁(ノド:「枇七部三ノ上一」・・・「枇七部三ノ上五十三」,「枇七部三ノ下一」・・・「枇七部三ノ下三」,「枇七部三ノ下又一」,「枇七部三ノ下四」・・・枇七部三ノ下五十八」), 四編:110.5丁(ノド:「枇七部四ノ上一」・・・「枇七部四ノ上五十三終」,「枇七部四ノ下一」・・・「枇七部四ノ下五十七」) ,五編:99丁(ノド:「枇七部五ノ上一」・・・「枇七部五ノ上五十二」,「枇七部五ノ下一」・・・「枇七部初ノ下四十四」,なし2.5丁うち「大日本国郡全図」の広告0.5丁)
  • 書型(寸法) 小本(15.4×11.1cm)
  • 注記 書名は外題(題簽)による。見返および『日本古典籍総合目録』の統一書名も同じ。著者名は『日本古典籍総合目録』の統一著者名による。
  • 内容 井上士朗の関係俳書三十五種をまとめて刊行したもの。 『和露文庫俳書目』に「刊行年代不詳。序に文政八年とあるは初篇成りし時の識語なれば、全部完成上梓せるはなほそれより後なるべし。」とある。 内容は、初編:飲中八歌仙・うらがらす・山吹集・鳶の眼集・麻刈集・口笛集・留守懐紙、二編:橋日記・文化五歌仙・杉本尊・玉笈集・花橘集・ふくべ日記・落梅花、三編:松の炭・びはぶくろ・松硯・玉くしげ集・三日月集・名なし鳥集・木瓜つつじ、四編:法々華経・草枕集・ひとくどり・庵犬集・藁づと集・閑古鳥・名なし草、五編:長寿楽・きねうた・簑虫集・泣瓢集・玉兎集・おぼろ夜集・柴の戸集。 同書の後刷本として『士朗五七集』がある。題簽のみ改めたものと、俳書の順序をほぼ年代順に改めたものと二種類ある。当資料には初編に「士朗五七集目録」があるため、『士朗五七集』が刷られた後の刷であると推測される。
    井上士朗は、尾張春日井郡守山村(名古屋市守山区)生まれの俳人、医師。全国に名が知られ、俗謡に「尾張名古屋は士朗で持つ」とうたわれるほどであった。
  • 序・跋・奥書等 序「文政八年/尾陽蓼光庵/しるす」(月底 1825年) 跋「乙酉秋/米園庭雅」(『類題士朗叟発句集』の跋を流用) 刊記「文政八年乙酉秋発行/梅花園蔵板」(『類題士朗叟発句集』の刊記を流用) 前見返に「尾陽 東壁堂蔵」とあり
    末尾に「尾陽 名古屋本町七丁目 永楽屋東四郎/東都 京橋南傳馬町一丁目 同 出店」とあり
  • 備考 「凡例」も『類題士朗叟発句集』のものを流用。 初編見返し裏にある反古は『類題士朗叟発句集』の序三。 初編に「士朗五七集目録」あり。そこに「士朗七部集にあり」等書入れあり。
  • 引用文献 川西和露、潁原退蔵共編 『和露文庫俳書目 稿本』(ひむろ社,1938年) 資料ID:1101826126
  • 請求記号Wラ/A913/イ/2-1~5

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