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【俳諧】 枇杷園句集/後篇

枇杷園句集/後篇
  • 書名枇杷園句集/後篇 ( びわえんくしゅう/こうへん )
  • 巻数 4巻
  • 著者名 士朗(しろう)/著
  • 成立 文化10年(1813年)
  • 出版書写年 明治中期以降刊
  • 数量 2冊 乾:27丁(版心:序「一」,「二」,「一」・・・「二十五」) 坤:25丁(版心:「一」・・・「二十三」,跋「一」,「二」)
  • 書型(寸法) 半紙本(22.4×15.4cm)
  • 注記 書名は巻首題による。『日本古典籍総合目録』の統一書名も同じ。外題(題簽)は「枇杷園句集 後篇 乾」、「枇杷園句集 後篇 坤」。著者名は『日本古典籍総合目録』の統一著者名による。
  • 内容 井上士朗の没後出された『枇杷園句集』の後編。『古典俳文学大系 16』に「秋挙・卓池の両者が、各々の草稿をもちよって校合し、士朗の追善の意をかねて編んだ。名古屋梶田勘助本は、跋のみ改板したもので、この板木が、大正八年の朱樹会に流用された。」とある。『古典俳文学大系 16』では刊記に「文化十癸酉春発兌」とあるが、当資料にはない。
    井上士朗は、尾張春日井郡守山村(名古屋市守山区)生まれの俳人、医師。全国に名が知られ、俗謡に「尾張名古屋は士朗で持つ」とうたわれるほどであった。
  • 序・跋・奥書等 序「于時文化九壬申秋 曙葊に筆をとる 青ゝ所 卓池」(文化9年(1812年)) 秋挙跋
  • 備考 外題(題簽)は「枇杷園句集 後篇 乾」「枇杷園句集 後篇 坤」。乾の「後」の字は、別紙を貼付して修正している。 前編の見返に「文光堂蔵」の記載。朱樹会著『枇杷園士朗伝』に「此の句集の板木は元永東書店所蔵なりしを、後梶田文光堂譲り受、先年梶田主人物故の後売却する事をなりしを、(中略)譲り受くることとなり」とある。「明治十四年七月訂正東壁堂製本目録」に「枇杷園発句集」が記載されていることから、明治14年には板木はまだ東壁堂の所蔵であったことが分かる。京都大学に「文光堂 1903(明治36年)」の同書所蔵があることから考えると、当資料は、明治中期以降に板木を譲り受けた文光堂から出版された刷であると思われる。
  • 文献 『古典俳文学大系 16 化政天保俳諧集』(集英社,1977年)資料ID:1102536013 58~72頁に翻刻あり(底本:鈴木勝忠蔵)
    朱樹会著『枇杷園士朗伝』(朱樹会,1926年)愛知県立大学他所蔵
    岸雅裕著「翻刻「明治十四年七月訂正東壁堂製本目録」」『名古屋市博物館研究紀要』第20巻(名古屋市博物館,1997年)
  • 請求記号Wラ/A916/イ/3-2-1~2

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