デジタルライブラリートップページ桶陝弔古碑
【歴史】 桶陝弔古碑
- 書名 桶陝弔古碑(おけはざまちょうこひ)
- 著者名 秦滄浪(はた そうろう)/撰 中西融(なかにし とおる)/書 仙田善/写
- 成立 文化13年(1816年) 奥書
- 出版書写年 近世後期刊
- 数量 1枚
- 書型(寸法) 82.0×30.4cm
- 注記 書名は題額による。読みは『豊明市史 資料編補2』(口絵p.15、本文p.559)による。「国書データベース」での統一書名は『桶狭弔古碑(おけはざまとぶらいのこひ)』となっている。また奥書には「桶峡弔古碑縮図」とある。撰者名及び書者名並びに読みは「国書データベース」の統一著者名による。ただし、資料内には、秦鼎、中西仲長の別名表記が見られる。
- 内容 桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市にある国指定史跡)に現存する碑のうちのひとつ『桶陝弔古碑』の碑文(表面)及び碑陰記(裏面)の写し。文化丙子(文化13年(1816年))に、仙田善という当時10歳の子供が碑文を書き写したと奥書に記されている。実際の石碑にはない返り点や送り仮名が付されている。 『桶陝弔古碑』碑文の作成年は桶狭間の戦いから約250年後の文化己巳(文化6年(1809年))。撰は尾張の儒学者秦鼎:宝暦11年(1761年)~天保2年(1831年)による。 石碑は、津島神社神主の氷室豊長:寛延元年(1748年)~文久3年(1863年)が建立し、石碑の背面に『碑陰記』を寄せている。氷室豊長は、桶狭間の戦いで討ち死にした今川家家臣遠江二俣城主 松井宗信の子孫。そのため、碑文、碑陰記ともに、今川方を含む戦死者を悼む内容となっている。
- 序・跋・奥書等 奥書「桶峡弔古碑縮図/本碑 高五尺径二尺五分/厚一尺二寸五分/文化丙子五月十九日/十歳童仙田善勤寫」
- 蔵書印等 右上に「藤紫楼蔵」(湯浅四郎氏)の銭形印あり。
- 備考 当館所蔵の『桶狭間合戦古跡絵葉書(全12枚)』(発行所、発行年不明)に、桶陝弔古碑及び弔古碑陰之銘を撮影したものが含まれている。 愛知県図書館 絵はがきコレクション:https://websv.aichi-pref-library.jp/chiki/ehagaki/f_owari_3.html"
- 文献 『豊明市史 資料編2』(豊明市役所,1975) 資料ID:1101474669
『豊明市史 資料編補2』(豊明市,2002) 資料ID:1108169000(石碑表面写真(p134)及び翻刻(p168)あり。)
羽賀 祥二『史蹟論 19世紀日本の地域社会と歴史意識』(名古屋大学出版会,1998) 資料ID:1107592374(石碑表面写真(p.38)あり。) - 請求記号 Wラ/A204/ハタ/51202