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【その他】 額田県疆記聞 第一号

額田県疆記聞 第一号

額田県疆記聞 第一号:1111601952 (PDF 3.16MB)

  • 書名 額田県疆記聞 第一号(ぬかたけんきょうきぶん だいいちごう)
  • 巻数 1巻
  • 出版書写年 明治5年(1872年)6月刊
  • 数量 1冊 8丁(版心:「額田県疆記聞 第一号 一」・・・「額田県疆記聞 第一号 二」、「額田県疆記聞 第一号 一」・・・「額田県疆記聞 第一号 四」)  
  • 書型(寸法) 半紙本(23.2×15.5cm) 表紙は本文と共紙、紙縒綴じ
  • 注記 書名は内題(巻首題)および表紙による。
  • 内容 木版刷地方新聞。紙名の「県疆」は「県の境」、「記聞」は「新聞」という意味で、岡崎で発行された三河で最初の新聞であり、現在のところ、第一号(明治5年6月刊)、第二号(明治5年9月刊)、第三号(明治5年10月刊)の発行が確認されている。
    額田県は、廃藩置県後の明治4(1871)年11月、三河の諸県を統合するなどして誕生し、岡崎に県庁を設置、明治5(1872)年11月27日に愛知県に併合されるまでの間存在した県であり、県の布達や管内の出来事が記事の主な内容となっている(第一号では、「士族告諭」、「額田県博覧会」等)。また、毎号、表見返しに額田県の発行時の情勢(県の範囲と管下の村数、人口、戸数、学校数)を記載し、裏見返しには、明治5年6月(第一号発行月)から各号の発行月までの毎月の物価(玄米、春麦、大豆、繰綿、上酒、塩、油等のほか、八丁味噌等について)を表形式で掲載している。
    発行人の深見藤吉は、三河碧海郡新堀村(現・岡崎市新堀町)の素封家(木綿問屋)で、勤王家としても活躍した深見篤慶の女婿であり、近藤巴太郎は蚊雷居の号で狂俳の評者・作者としても活躍した三河の出版人で、『尾三風土歌』等を出している。
    なお、第二号・三号によれば、弘通所(販売所)としては、本屋文吉・神谷新三郎(岡崎連尺町)を始め、文明社(名古屋本町通二十五丁目)・物産会社(管下)等18軒あり、額田県下だけでなく名古屋や東京の書肆も含まれていた。
    裏表紙に書き込みあり。
  • 序・跋・奥書等 巻首「額田県疆記聞 第一号 壬申六月」
    刊記(裏表紙)「額田県疆記聞本局 碧海郡新堀村 深見藤吉/額田郡八丁 近藤巴太郎」
  • 蔵書印等 表紙に「立志社記」、「價二銭半」の印。
    「立志社記」の印は、『遠江風土歌』(立志社 1873年)巻末に「発兌 浜松県下出廛 立志社近藤巴太郎」、見返しに「発兌 立志社」とあるにより、近藤巴太郎の書肆の印と思われる。
  • 文献 *影印複製
    『日本初期新聞全集 39』(ぺりかん社 1993)資料ID:1106379949  「第一号」、解題あり
    『日本初期新聞全集 42』(ぺりかん社 1993)資料ID:1106403919  「第二号」
    『日本初期新聞全集 43』(ぺりかん社 1993)資料ID:1106514865  「第三号」

    *「士族告諭」の翻刻
    『新編岡崎市史 10 史料 近代 下』(新編岡崎市史編さん委員会 1987)資料ID:1107365554
    松浦 國弘/編著『愛知県・底辺社会史資料集成 部落篇明治期』(近現代資料刊行会 2008.9)資料ID:1109574348

    *参考文献
    『新編岡崎市史 4 近代』(新編岡崎市史編さん委員会 1991)資料ID:1105992199
    冨田和子「書肆 蚊雷居近藤巴太郎の活動と狂俳-明治前期岡崎文壇の一側面」『椙山女学園大学研究論集 人文科学篇』 50, p.21-30  http://id.nii.ac.jp/1454/00002693/ (2022.1.10最終確認)
    田中正幅 著[他] 『遠江風土歌』(立志社 1873年) 「国立国会図書館デジタルコレクション」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765207 (2022.3.25最終確認)
  • 請求記号 Wラ/A233/ヌカ/1160195

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