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【歴史】 南朝公卿補任

南朝公卿補任

南朝公卿補任:1103242681 (PDF 42.15MB)

  • 書名 南朝公卿補任(なんちょうくぎょうぶにん)
  • 巻数 1冊
  • 成立 近世中後期カ
  • 出版書写年 安政6年(1859年)写、万延元年(1860年)校
  • 数量 1冊 上29丁,中35丁,下46丁(いずれも表紙を除く)
  • 書型(寸法) 半紙本(24.7×17.4cm)
  • 注記 書名は原表紙の外題(打付書)による。日本古典籍総合目録の統一書名も同じ。
  • 内容 『公卿補任』の形式にならい、南北朝期延元2年(1337年)から元中9年(1392年)までの南朝方の公卿を年毎に一覧したものである。塙保己一以来偽書とされ、偽作したのは江戸時代の故実家である藤原貞幹(1732‐1797)とする説もある。近年では、何らかの具体的史料に依拠して作成されたものであり、一定の史料的価値を認める研究者もいる。
    当館所蔵本は、尾張藩士神谷三園(克楨)(1788‐1871)が安政6年に「奥田家之本」(奥田常雄(1835-1862)所蔵本か)から書写し、さらに翌万延元年に三園自身により朱書で校訂を施したもの。もと上中下の3冊であったが、当館で受入ののち合冊して1冊としている。他本は通常4冊であるが、その第3冊、第4冊をまとめて下としている。
  • 序・跋・奥書等 以下の奥書あり。
    「私云元中九年閏十月(北朝明徳三年)御入洛之時南朝公卿供奉入洛(冬実公等)或下向分国(守親公顕恭公尹良卿等)或出家或留山中各不奉仕北朝矣」(「国」は「公」を朱書により修正)
    「一本奥書/右南朝公卿補任四巻以所持旧巻令書写畢堅固不可及流布者也/寛政六年十月 (花押)」(朱書)
    「右南朝公卿補任三巻以奥田家之本写之而本書誤脱甚多他日以類本訂之而已/安政六未年六月廿九日 神谷克楨」
    「万延元庚申年十月十日一校了」(朱書)
    上の正平6年の末(26オ)に「以上以一本一校了已下欠 但二三紙散在在次」とあり。
    上の巻末(29オ)に「万延元庚申十月八日一校了 三園」の朱書あり。
  • 蔵書印等 上中下の表紙に「第六門」の蔵書票、文書課の備品票、「共三冊」の朱書。
    各巻首に「愛知県図書章」、「明治十九年八月点査章」の印。
  • 備考 阪本是丸によれば、『南朝公卿補任』の写本には寛政5年(1793年)6月の「子洲三宅会」こと河本公輔(1775-1832)の識語を持つものと、寛政6年10月の柳原紀光(1746-1800)の識語を持つものがある。河本、柳原どちらも自家伝来の書を写したと主張しており、両者の関係は不明な点が多い。当館所蔵本には、「一本奥書」として寛政6年の柳原紀光の奥書が朱書で写されている。
    また同じく阪本によれば、日本古典籍総合目録では区別されていないが、「応永三十二年二月九日 前右衛門佐入道 沙弥行念」の跋文を持つ『南朝公卿補任』(静嘉堂文庫、東大史料編纂所、宮内庁書陵部など所蔵)は同名の異本である。
  • 文献 阪本是丸「『南朝公卿補任』と藤原貞幹」『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』1(2007年)
    坂田桂一『公卿補任図解総覧 大宝元年(701)~明治元年(1868)』(勉誠出版,2014年) 資料ID:1110968185(参考資料として「『南朝公卿補任』の図解・補注」(底本:国立公文書館内閣文庫本)を附載)
  • 請求記号 Wラ/210.45/ナ2

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