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【伝記・系譜】 丈山先生碑文和解
丈山先生碑文和解:1103260859 (PDF 746KB)
- 書名 丈山先生碑文和解(じょうざんせんせいひぶんわげ)
- 巻数 [1巻]
- 出版書写年 文政初・中刊カ
- 数量 1冊 3丁
- 書型(寸法) 半紙本(22.7×15.8cm)
- 注記 表紙なし。書名は内題及び日本古典籍総合目録による。紙縒綴
- 内容 丈山先生は石川丈山(1583~1672)のこと。三河の人。家康に仕えるも大阪の陣で軍令を犯したことにより隠居。のち京都に詩仙堂を建て隠棲する。
この資料の来歴・性格については、次の資料が参考になる。『鶯宿雑記』巻111「丈山先生碑文和解」の条にこの資料の全文を書写した上、末尾に以下のような断り書きを付す。「右碑文和解ハ文政の始[双行注:二・三の頃成や]詩仙堂を守尼法師、詩哥勧化し、其人々の志を以、堂の修復せん為江戸に出たりし頃、(田内)月堂より詩仙堂哥勧進のよし申越し哥よミて送りし。其打のちらしのうつし也」。この記述によれば、文政初年頃丈山百五十回忌をむかえ、それを機に荒廃した詩仙堂の修繕費を募ることとなり、丈山の生涯を紹介するために刊行・配布されたちらしと考えられる。
成立年については、当館所蔵本と『鶯宿雑記』所収本との記述の違いにヒントがある。『鶯宿雑記』所収本には、丈山が大坂の陣で軍令を犯す場面を「軍令を侵したるを等閑に差置給ふ事かたくて、御勘気を蒙り」とあるところ、当館所蔵本には「軍令にかまはずとてその功を録せられず」と異なる記述となっており、さらに双行注を入れ「前刻、御勘気を蒙ぶりとあるハあやまりなり」と記す。要するに、『鶯宿雑記』所収本(の原になった本)が文政2・3年頃に成立し、当館所蔵本は、一部文言を削除訂正して、文政2・3年以後の遠からぬ時期に印行された修訂本ではないかと考えられる。この資料は板木が現存しており、当該部分には修訂の跡が見られる。
なお、碑文とは丈山の墓碑の文。漢文で書かれており、墓碑は詩仙堂の東南、京都府左京区一乗寺松原町に現存している。和解という書名ではあるが、単に漢文の墓誌銘をそのまま和文に変えて解説したものではない。和解は丈山の人生を描いて精彩に富み、漢文の墓誌銘にない内容を多分に含む。 - 蔵書印等 巻頭に「愛知県史編纂係之印」あり
- 文献 駒井乗邨『鶯宿雑記』: 「国立国会図書館デジタルコレクション」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10300952 (2020年8月26日確認)
『丈山先生碑文和解』板木: 「ARC板木ポータルデータベース」 https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/nar/nar-mus/woodblocks/observe/nar-T/nar-T_0119/nar-T0119/nar-T0119A.jpg (2021年3月12日確認) - 請求記号 Wラ/A289/イ8