デジタルライブラリートップページ肥州有馬原城跡碑銘 参州額田郡深溝本光寺碑銘

【伝記・系譜】 肥州有馬原城跡碑銘 参州額田郡深溝本光寺碑銘

肥州有馬原城跡碑銘 参州額田郡深溝本光寺碑銘

肥州有馬原城跡碑銘 参州額田郡深溝本光寺碑銘:1103267330 (PDF 15.96MB)

  • 書名肥州有馬原城跡碑銘 参州額田郡深溝本光寺碑銘(ひしゅうありまはらじょうあとひめい さんしゅうぬかたぐんふこうずほんこうじひめい)
  • 巻数[1巻]
  • 著者名林 鳳岡(はやし ほうこう)/撰、林 鵞峰(はやし がほう)/撰
  • 成立江戸時代
  • 出版書写年天保10年(1839年)書写
  • 数量1冊 29丁(墨付25丁)
  • 書型(寸法)半紙本(24.3×16.8cm)
  • 注記書名は原表紙の外題による。内題は「従五品内膳正板倉重昌碑」「参州額田郡深溝本光寺碑銘」、追記として「桶狭弔古碑」あり。
  • 内容収録碑文①「肥州有馬原城跡碑銘」(「板倉重昌碑」)は、島原の乱を鎮圧するため幕府から上使として派遣されたが敗北、戦死した深溝藩主板倉重昌(1588-1638)の事跡について書かれている。延宝9年(1681)、林鳳岡の撰文により製作され、寛政9年(1797)、福島城主板倉勝長らにより原城跡(現長崎県南島原市)に建立された。
    ②「三州額田郡深溝本光寺碑銘」(「祖宗紀功碑」)は、深溝松平家歴代の武勲について書かれている。万治3年(1660)、林鵞峰の撰文により島原藩主深溝松平6代忠房によって本光寺(現額田郡幸田町)に建立された。
    ③【追記】「桶狭弔古碑」は、桶狭間の合戦についての由来が書かれている。尾張藩秦鼎の撰文により文化6年(1809)、津島神社神主氷室豊長により桶狭間合戦跡(現豊明市)に建立された。
  • 序・跋・奥書等表紙に「天保十亥歳季春写」「金子氏」、裏表紙の裏に「金子尹写之」とあり。
  • 蔵書印等表紙に蔵書票、裏表紙の裏に「谿菴」「金尹之印」の朱角印あり。
  • 請求記号Wラ/A288/カ4

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