特徴のある資料の紹介 

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■明治期の教科書 その1

はじめに

 日本の教科書の歴史は古くは平安時代にさかのぼり、中国からもたらされた漢籍や、和歌など伝統的な教育があり、江戸時代にさかんになった庶民に多くもちいられた往来物とよばれる実用的な教科書がありました。
 それが、明治時代になり教科書の内容も体裁も教育制度も大きく変化します。近代国家建設のため、西洋的な知識を急速にとりいれようと、さまざまな新しい教科書がつくられました。小学校が寺子屋や藩校にかわってつくられ、文部省により次第に近代教育制度が整備され、教科書もだんだんと国家の統制をうけていきます。

 当館が所蔵する明治期教科書コレクションは約1,250冊、そのうちのほとんどが国定教科書となる以前のものです。このコレクションは愛知県文化会館愛知図書館が愛知県教育振興会から移管された資料を中心に各方面からの寄贈資料から成り立っています。この資料群は通常は貴重書庫に収蔵されています。 ここでは明治初期の新しい教科書が成立したころの特徴的なものを5つのテーマに沿ってご紹介します。



1:往来物と「学制」公布

 明治時代より前、江戸時代までの教科書は「往来物」と呼ばれています。往来とは往復の手紙のことです。江戸時代までの教科書は手紙文の手本を集めた形式のものが多かったので、こう呼ばれるようになりました。

永楽庭訓往来
『永楽庭訓往来』
〔えいらくていきんおうらい〕

 『永楽庭訓往来〔えいらくていきんおうらい〕』は江戸時代名古屋で代表的な書肆(出版社兼書店)であった永楽屋東四郎が出版したものです。庭訓往来は14世紀ごろ成立し、各地で出版されました。手紙文の手本を集めた、教科書の元祖といえるものです。本文は漢文で、武士用と思われますが、この『永楽庭訓往来』のように読みがながつけられているものもあり、庶民にもつかわれたのではないかとおもわれます。庶民のための往来物にはこのほか、『商売往来』『農民往来』など使い方に応じた手紙文(消息)の手本がありました。
 女性を対象にしたものもあります。『女大学教文庫〔おんなだいがくおしえぶんこ〕』の主な内容は教訓系の往来物の代表「女大学」です。「女大学」は江戸時代に原型がつくられ広まりました。きびしく女子の心得を説いています。
 このほか教訓系の往来物では、「山高き故に貴からず…」ではじまる『実語教』や『女今川』などたくさんの種類がつくられました。


 明治時代になり、政治や社会が変わる中、教育にも大きな変化がありました。江戸時代、寺子屋は庶民のための私立の教育機関でしたが、明治5(1872)年に『学制』が公布されると、四民平等・国民皆学を原則とし、各地に公立の小学校がつくられました。「文部省」は学制に先立ち、欧米の教育制度を調査しました。その調査報告書にあたるものが『理事功程〔りじこうてい〕』です。

理事功程
『理事功程』
〔りじこうてい〕

 アメリカ、イギリス、フランスなど9カ国の教育制度についてくわしく述べられています。こうした欧米の制度を参考に、日本の小学校は下等小学4年・上等小学4年でスタートしました。ところが、学校がつくられても、教えられる内容が近代的なものになるまで少し時間がかかりました。それは、新しい教科書やそれを教える先生が準備されていなかったからです。はじめは、明治以前にかかれていた福澤諭吉の『西洋事情』や、『各国産物往来』のように従来の往来物形式のものも教科書としてつかわれていましたが、やがて文部省や師範学校が教科書を作り始め、それらもつかわれるようになっていきます。

 → ○明治期の教科書 その2(初めて習う教科書・翻訳教科書)

 → ○明治期の教科書 その3(あたらしい知識・さまざまな教科・参考文献)

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