郷土資料 展示 




 愛知県図書館 郷土資料展 (第9回)
絵はがきに見る
あいち 海辺の風景
期間:平成17年9月21日(水)〜平成18年1月15日(日)
場所:愛知県図書館3階 郷土資料展示コーナー(観覧無料)

 愛知県図書館では、昭和初期あるいはそれ以前の発行と推測される絵はがきを多数所蔵しています。その中には、県内各地の風景・風物の写真を収めた貴重なものも少なくありません。 郷土資料展では、今回から来年度にかけて数回にわたって、絵はがきの展示を行います。
 今回の展示では、この絵はがき資料の中から、県内の海辺の風景を中心に選んで展示します。県内の名所旧跡のかつての姿をしのび、県のあゆみを考える機会としていただければ幸いです。


 展示する絵はがき資料の紹介


@『東海の名勝 蒲郡風景』 (8枚、昭和10年ごろ、発行所不明 資料ID:1105065011)

 1934(昭和9)年に完成した国際ホテル(=蒲郡ホテル、現蒲郡プリンスホテル)および、1932(昭和7)年に初めて永久橋が架けられた竹島の風景を中心に収める。昭和初期、蒲郡が国際的な観光地としての地位を確立した時期の絵はがき。



「竹島ヨリホテルヲ望ム」

 竹島より竹島橋を隔て、蒲郡ホテルを望む。観光地蒲郡を象徴する風景である。竹島橋とホテルの出現により、蒲郡は観光地として一躍注目を集めるようになった。ホテル下の海岸沿いに見える日本建築は、1912(大正元)年に開業した蒲郡の観光旅館の草分け的存在の常磐館である。



「新装ナレル国際ホテル側面」

 1934(昭和9)年に開業した蒲郡ホテルである。1930(昭和5)年、鉄道省に設置された観光局が、国際観光ホテル建設計画を発表して外国人観光客の誘致に乗り出したが、全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、横浜、雲仙、大津とともに選ばれたのが蒲郡であった。




「美観極リナキ竹島」(同タイトル2枚)


 蒲郡沖にある竹島には、弁財天を祭る八百富神社がある。12年毎の巳年に御開帳の大祭が行われ、古くは、渡船で参拝客を運んでいたが、明治末から臨時に木製の仮橋をかけるようになっていた。昭和になって  永久橋架橋の機運が高まり、1931(昭和6)年着工、翌年完成した。



「新箱根鉢地坂(はっちざか)U形ドライブ道」

 1934(昭和9)年、蒲郡から鉢地峠をトンネルで越え、本宿村(現岡崎市)へと至る県道が開通し、愛電自動車(現名古屋鉄道)がただちにバス営業を開始した。峠付近の景観が箱根に似ているところから、この路線は新箱根線と名付けられた。翌1935年からは、この絵はがきにみるような最新型の流線型バスも導入され、モダンな 制服の女子車掌の案内もあって好評を博した。

その他のタイトル:「ホテル屋上より竹島の遠望」、「遊園地ヨリ見タル竹島橋」、「龍神岬の美観」



A『三河蒲郡風景』※ (4枚、大正初期? 発行所不明 資料ID:1103270327)

 @よりも古く、大正初期ごろのものと推定される蒲郡の絵はがき。


「蒲郡海岸」

 中央右の島は竹島と思われるが、まだ橋はなく、また大正4年に建てられた鳥居も見えない。よってこの写真は明治末から大正初めごろのものと推測される。




「海水浴場」

 明治半ば以降、蒲郡で最初に海水浴場として開発されたのは、竹島西方の海岸だったが、この写真はその付近のものと推測される。海岸沿いに旅館や別荘と思われる建物が並んでいる。このあたりの海岸は、後に埋立てが行われ、現在当時の風情は全く残っていない。

その他のタイトル:「潮干狩」、「竹島瀬岩ヨリ大島小島ヲ望ム」



B『東海道三河蒲郡風景絵葉書帖』 (10枚のうち1枚、大正初期? 杉田絵葉書店発行 資料ID:1103270022)

 Aと同様に、大正初期ごろのものと推定されるもので、切り離し可能な絵はがき10枚を1冊の冊子体にした「絵葉書帖」である。


「竹島(明治四十三年春大祭架橋)」

 明治末の大祭時に仮の木橋が架けられた際の貴重な写真。竹島の鳥居もない。



C『三州伊良湖岬絵葉書』※ (4枚、発行年・発行所不明 資料ID:1103270372)

 恋路が浜、日出(ひい)の石門など、今も昔も変わらぬ伊良湖岬の名所を収録。


「寄す波に物語秘む伊良湖岬恋路が浜」

 前方の海にせり出した丘の上に道路ができ、1968(昭和43)年開業の伊良湖ビューホテルができた以外は、風景は現在と大きく変わっていない。






「造化の妙伊良湖岬日出の石門」

 「日出の石門」は、太平洋の荒波による浸食で中央部が洞穴となったもので、沖の石門と岸の石門の2つがある。この絵はがきは岸の石門の写真を収めている。


その他のタイトル:「磯遊びよき伊良湖岬和地の浜」、「御衣祭の古式もゆかし伊良湖明神」



D『名勝絵葉書』 (5枚のうち1枚、発行年不明 愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会発行 資料ID:1103270354)


「三河伊良湖崎」

 日出の石門付近からの写真と思われる。





E『三河宮崎風景絵葉書』※ (9枚、昭和初期? 発行所不明 資料ID:1103270345)

 現在も多くの観光客を集める三河宮崎海水浴場(現吉良町)とその周辺の風景を収める。発行当時すでに国内では珍しい存在となっていた白浜塩田の写真を収める点でも貴重。


「海水浴場大岩附近景其の二」

 この絵はがきに収められた「大岩」付近の海岸は戦前海水浴場として大いに賑わいを見せたが、戦後台風の被害を受けたため、海水浴場は漁港を隔てた東の浜に移った。近年、コンクリートの護岸で覆われていたかつての大岩付近に人工海浜が作られ、恵比須海水浴場として再び多くの観光客を集めるようになっている。



「白浜吉田塩田の景」

 県内最古の塩田といわれる白浜塩田。潮の満ち引きを利用して海水を引き込む入浜式塩田で、1953(昭和28)年の13号台風で壊滅的な被害を受けるまで、江戸時代以来の伝統的な手法で製塩が行われていた。

その他のタイトル:「海水浴場附近景」、「海水浴場大岩全景」、「海水浴場大岩附近」(同タイトル2枚)、「海水浴場大岩附近景其の三」、「海水浴場大岩ヨリエヒスハナ見ユ」、「県社幡頭神社前景」



F『愛知県御油絵葉書』※ (6枚、昭和初期? 東大路発行 資料ID:1103270194)

 美しい海岸線をもち、海水浴場として知られた御津(みと)町の御馬(おんま)海岸は、東海道線御油駅(現愛知御津駅)に近かったため御油海岸とも呼ばれていた。戦後の台風で大きな被害を受けた後海岸には防波堤が建設され、また近年には付近の埋め立ても行われており、同じ場所の風景は大きく変わってしまった。 なお、付近は万葉集に歌われた「引馬野(ひくまの)」の有力な比定地である。


「御油海岸」

 江戸時代には三河五か湊の一つとして栄えた御馬港の風景。





「御油海水浴場」(左)、「御油引馬野浜」(右)

その他のタイトル:「御油海岸実景」、「御油汐干狩」、「御馬八幡宮」



G『亀崎風景絵葉書』 (8枚、大正〜昭和初期 発行所不明 資料ID:1103270443)

 1937(昭和12)年の合併により、半田市の一部となる以前の亀崎町の風景を収める。山車を浜に曳き下ろす勇壮な「潮干(しおひ)祭」で有名な神前(かみさき)神社や役場などのほか、知多半島屈指の賑わい を見せた魚市場や、中町通りの夜市の様子など貴重な写真が多い。



「海上より見たる亀崎全景の美観(其の一)」、「海上より見たる亀崎全景の美観(其の二)」

 神前神社が右端に見える。戦前は海水浴もできたというこのあたりの海岸も、伊勢湾台風後に防波堤が築かれ、風景が大きく変わっている。

その他のタイトル:「荘厳なる県社・神前神社の社頭」、「明治大帝御駐蹕の御址(乙川白山)」、「半島第一の大池七本木池」、「亀崎町役場」、「半島屈指の大魚市場の盛観」、「最も繁華なる中町通りの夜市」



H『半田絵葉書 一輯』 (8枚、昭和初期 半田同盟書林発行 資料ID:1103270318)

 1937(昭和12)年の半田の市制施行以前に発行されたもの。半田港、雁宿公園など当時の半 田町内の名所旧跡のほか、東洋紡績やカブトビールの工場なども収録する。


「半田港」

 南の成岩方面から見た半田港の風景。中央に見える洋風建築は、1914(大正3)年に新築された武豊税関支署であり、そのモダンな姿で地元民に親しまれた。




「入水(いりみ)神社」

 古くは住吉神社と称していたが、古い棟札に「入水下天神」とあることから、1838(天保9)年に入水神社と改称、その後、第二次大戦後再び住吉神社となり現在に至っている。毎年4月の「ちんとろ祭」では、絵はがきにも写る宮池に2隻のまきわら舟が浮べられる。




「大日本麦酒半田工場」

 1898(明治31)年に丸三麦酒醸造工場として建設された建物で、同年から発売された「カブトビール」の銘柄で知られる。丸三麦酒はその後合併改称を経て、1933(昭和8)年に大日本麦酒株式会社に吸収合併された。この工場は現在もその一部が「半田赤レンガ建物」として保存されており、2004年国の登録有形文化財に指定された。

その他のタイトル:「雁宿公園・公園より半田市街を望む」、「明治天皇半田大本営」、「上水道貯水池・上水道水源地」、「半田新名所東雲桜」、「東洋紡績知多工場並山方新田全景」、

※ACEFは本来の袋が残っていないため、セットとしてのタイトルは推測によるものです。




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