郷土資料常設展 (第5回) |
愛知の戦国武将 ―織田信長展― |
期間:平成16年4月21日(水)〜8月15日(日) 場所:愛知県図書館3階 郷土資料展示コーナー(入場無料) |
織田信長は、豊臣秀吉・徳川家康と並んで愛知県が生んだ、もっとも名の知られた戦国武将の一人である。現代でも小説やTV・映画等の題材に多く取り上げられている。 今回の展示では、江戸時代に刊行された信長の伝記、合戦記、本能寺の変を描いた明治期の錦絵など、本館所蔵の歴史的に貴重な資料を展示し、織田信長の事蹟を紹介する。 |
〇 織田信長について 天文3年(1534)尾張守護代の三奉行の一人、織田信秀の嫡男として生まれる。幼名を吉法師といい、初め那古野城を居城とした。天文15年(1546)に元服して「信長」と名乗る。天文23年(1554)清須城に移った。永禄2年(1559)尾張を統一し、永禄3年(1560)に京都に向かい西進する今川義元を討取った(桶狭間の戦)。永禄10年(1567)、美濃の斎藤龍興を追放し、岐阜に本拠を移す。永禄11年(1568)足利義昭を擁して将軍職につかせたが、次第に関係は悪化。天正元年(1573)義昭を追放して、室町幕府を滅亡させた。その後も対抗する勢力を討ち、天正3年(1575)には大量の鉄砲を使って武田勝頼の騎馬軍を三河長篠で破った(長篠の戦)。天正4年(1576)には近江安土に築城。天正10年(1582)中国地方に出陣する途中、京都の本能寺で家臣の明智光秀の急襲により(本能寺の変)、自刃した。 |
『織田信長譜』(明暦4年) |
○ 『織田信長譜』 林羅山編 明暦4年(1658)刊 江戸幕府の命により、儒学者の林羅山が編さんしたもの。織田氏の系図と、徳川家康を軸に書かれた信長の一生が、漢文で記述されている。 信長は斎藤道三との会見の際、朱槍500本、弓と鉄砲各500挺を持った家来を従えて異様な姿で参上したが、会見の時には正装に改め現われて道三を驚かせ「自分の子孫は、いつか信長の家来になるだろう」と嘆かせた有名な逸話などが書かれている。 左の系図を見ると、平清盛を始祖としているが、実際には織田氏の先祖は藤原氏というのが正しいようである。 成立は寛永18年(1641)。本書は明暦4年(1658)に荒木四郎左衛門が刊行した木版刷の和装本である。 |
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『本能寺焼討之図』(明治期刊) |
○ 『本能寺焼討之図』 延一画 明治期刊 本能寺の変を題材にした明治期の錦絵。敵味方入り乱れる戦闘の中、右端に織田信長、中央 には信長に槍を向ける明智光秀の家臣安田作兵衛、図の左に森蘭丸の姿が描かれている。 錦絵とは、18世紀半ばから作られるようになった多色刷の浮世絵の木版画のことである。「錦のように美しい絵」であることから、この名前がある。時代を経て技術的改良を重ね、幕末には数十色もの色版を用いる極彩色のものも現われた。 |
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『英傑三国誌伝』(江戸後期頃刊) |
○ 『英傑三国誌伝』 秋草庵、梅窓園(歌川貞芳)画 江戸後期頃刊 戦国時代の武将を、絵と逸話で描いた武勇伝。信長を始めとして、明智光秀・柴田勝家など戦国武将の姿が多色刷で描かれている。成立は嘉永3年(1850)で、刊行年は不明。 左の図は、織田信長が堺の妙国寺にあった大きな蘇鉄を安土城に移すと、蘇鉄が「帰りたい」と毎夜泣いたため、元通り妙国寺に戻したという伝説に基づいて描かれている。 |
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『小田上総介信長』 |
○ 『小田上総介信長』(太平記英勇伝の中の一枚) 山々亭有人、歌川(一恵斎)芳幾画 幕末−明治期刊 『太平記英勇伝』の中の一枚で、信長を描いた錦絵。舞を舞う信長の姿に、信長について簡単な説明が付されている。『太平記英勇伝』と付いているのは、江戸時代、庶民の間で戦国時代の武将を書くことが禁じられていたため、『太平記』の南北朝時代の人物になぞらえた慣習によっている。「織田」が「小田」に変えられているのも、そのためと思われる。 |
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『拝殿額面信長公功臣三十六名肖像』 (明治28年) |
○ 『拝殿額面信長公功臣三十六名肖像』 石田有年画 明治28年(1895)刊
柴田勝家・森蘭丸など、信長の家臣36名の肖像と逸話が記載されている。織田信長とその子信忠を祭る京都の建勲神社は、明治2年の創建の際に織田信長に仕えた家臣の内から36名を選び、その肖像を描いて拝殿に掲げたが、その像を元にして銅版画家の石田有年が描き、建勲神社が刊行したものと思われる。
左図は、木下(豊臣)秀吉、平手政秀の図である。
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『新編桶狭間合戦記』(明治期) |
○ 『新編桶狭間合戦記』 田宮篤輝著 明治期 永禄3年(1560)に織田信長が今川義元を破った、桶狭間の戦の概要を記した合戦記。桶狭間で戦うに至る過程や、両軍の家臣名等が詳細に記述されている。 著者は尾張藩士田宮篤輝で、山澄英竜の『桶狭間合戦記』を元にして、様々な文献の説と自分の考察を加えたものである。合戦の前夜に酒宴を行い「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり…」と幸若舞の敦盛を信長が舞う有名な場面などが、いくつかの説を比較しながら論じられている。 成立は弘化3年(1846)で、本書は明治期の写本。 |
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